幼い時代の子どもへ、どんな言葉を分かち合うかは、大切なことです。外国映画等でも引用されている、有名な聖書のお言葉の一つに詩篇23篇があります。子供達も夏休みの宿題に暗証聖句として覚えます。「詩篇」は、聖書の真ん中ほどにある詩集で、とても深みがあり、世界中で最も多くの人に愛されている聖書の言葉の一つでもあります。愛される理由の一つは、それが、人間のリアルな人生に向けた言葉だからでしょう。
詩篇23篇
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
「乏しい」とか、「死の陰の谷」、あるいは「慰め」…。
これらの言葉を幼稚園児がどれぐらい理解できるかを大人は考えて、覚えても意味が無いのではないかと判断するかもしれません。
でも、意味が確かにあります。
ことばは、思想です。
子どもはいつまでも子どもではありません。一日イチニチ成長しています。
今すぐにはわからないかもしれない言葉であっても、成長するにつれ、いつしか深く感じ、理解し、わかっていきます。今、目の前に居る子どもに合わせるだけでなく、成長する未来のためにも、心が良い言葉に触れることは、とても意味があります。心が柔らかい時こそ、良い言葉に触れ、蓄えることは大切です。
いつか、「いつくしみと恵み」をわかり、語れる人になる日が来ます。
また、本当に、大変な人生の荒波、嵐に直面することもあるかもしれません。
自分の力ではどうしようもない困難にぶつかった時に、「死の陰の谷を歩くことがあっても、」に続く「私はわざわいを恐れません。」という、本当の希望を深く理解するようになるでしょう。
まだ、幼稚園児ではあっても、いつかは立派な大人になることを願っています。
そして、そう願っているからこそ、本物に触れたり、大切な言葉が心に残るように、分かち合うことも、大切だと言えます。
「主は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。」
この言葉は、試練の中に涙を流す人が、慰めとのぞみを得てきた、希望の詩の出だしです。幼児のうちにこそ、教え分かち合う価値があると思います。